少し難解だけれども、とても大切なことなので、数回に分けて書いてみたい。
セルフイメージは、通常「自己像」と訳されているが、『自分評価』としてみることにする。
自分という存在は、過去・現在・将来にある(あった)。その全ての時間に存在する自分を、「自分で評価する」ことによって出来上がったものが『自分評価』だ。
だから、『自分評価』は、顕在意識・潜在意識に残っている過去の経験と他人からの評価、そして自分の感情に大きく左右される。
例えば、「私は、A型の特徴である几帳面さを持っている」と思っているような場合、A型の特徴が、本にそのように書いてあったり、テレビでもそう言っていたからという記憶。友達から「A型らしい性格だな」言われた経験とが作り上げた『自分評価』だと言える。
「よく調べてみたら、B型だった」などという笑えないようなこともあるらしい。
『自分評価』は、高いほうがいいに決まっている。
「俺は、最低な男だ! 何をやっても上手くいきっこない。」なんていう思いを誰しも持ちたくないと思っている。
しかし、実際のところは、これと似たような『自己評価』を割りと平気でしている。
「俺、数字が苦手でさ・・・」、「私、パソコンを一生かけても使いこなせないと思う」、「おやじも、おじいちゃんも癌で死んだから、きっと俺も癌で死ぬはずだ。」、「順調すぎて怖いよ。なにか悪いことが起きるんじゃないかな?」という具合に、『自分評価』を自分で下げてしまうことも頻繁にありませんか?
世間は、あなたの『自分評価』を下げる材料がいっぱいある。
ただでさえ下げる材料があるのだから、顕在意識の中で自分を高く『自己評価』しなければならない。
これは、「高慢になれ」とか「うぬぼれろ」という意味ではない。
自分が自分であるためのアイデンティティーを持ちなさい、ということだ。
自分をさげすむのは、止めよう! 謙遜と卑下とは、似ているけれども違う。
じゃ、また今度。

セルフイメージは、通常「自己像」と訳されているが、『自分評価』としてみることにする。
自分という存在は、過去・現在・将来にある(あった)。その全ての時間に存在する自分を、「自分で評価する」ことによって出来上がったものが『自分評価』だ。
だから、『自分評価』は、顕在意識・潜在意識に残っている過去の経験と他人からの評価、そして自分の感情に大きく左右される。
例えば、「私は、A型の特徴である几帳面さを持っている」と思っているような場合、A型の特徴が、本にそのように書いてあったり、テレビでもそう言っていたからという記憶。友達から「A型らしい性格だな」言われた経験とが作り上げた『自分評価』だと言える。
「よく調べてみたら、B型だった」などという笑えないようなこともあるらしい。
『自分評価』は、高いほうがいいに決まっている。
「俺は、最低な男だ! 何をやっても上手くいきっこない。」なんていう思いを誰しも持ちたくないと思っている。
しかし、実際のところは、これと似たような『自己評価』を割りと平気でしている。
「俺、数字が苦手でさ・・・」、「私、パソコンを一生かけても使いこなせないと思う」、「おやじも、おじいちゃんも癌で死んだから、きっと俺も癌で死ぬはずだ。」、「順調すぎて怖いよ。なにか悪いことが起きるんじゃないかな?」という具合に、『自分評価』を自分で下げてしまうことも頻繁にありませんか?
世間は、あなたの『自分評価』を下げる材料がいっぱいある。
ただでさえ下げる材料があるのだから、顕在意識の中で自分を高く『自己評価』しなければならない。
これは、「高慢になれ」とか「うぬぼれろ」という意味ではない。
自分が自分であるためのアイデンティティーを持ちなさい、ということだ。
自分をさげすむのは、止めよう! 謙遜と卑下とは、似ているけれども違う。
じゃ、また今度。
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