「マイペース」。耳に心地のよい言葉だけれど、これについて考えてみたい。
多くの人は、マイペースで動くことが出来ないことに不満を覚える。
学校や会社のスケジュールどおりに行動しなければ、落ちこぼれたり、成績が落ちてしまう恐れがある。
友人や同僚と行動を共にし、話をあわせないと「つまらないやつ」といわれる恐れがある。
つまり、「遅れないように」、「仲間はずれにされないように」と世間に歩調をあわせているのが実情だ。
100%をあわせ続けるわけではないが、とても窮屈で疲れる。
しかし、恐れを打ち消すために歩調をあわせる。
こう考えてみると、世間に歩調をあわせるための代償として「マイペース」を切り売りしているようになるが、果たしてそうだろうか?
究極の「マイペース」は、世間から隔絶された奇人・変人ということになるのだろうか?
けっしてそうではないと思う。
「マイペース」には、「積極的なマイペース」と「消極的なマイペース」があると思う。
「積極的なマイペース」とは、自分の目的・目標に対して、時には坦々と、時には無我夢中に周りの環境にあわせて安息を得ながら進んでいくことと仮定する。
一方の「消極的なマイペース」は、自分の感情や周りの環境に翻弄されて、自堕落に安逸をむさぼり停滞することと仮定する。
同じ「マイペース」という言葉で表現されても、安息と安逸では大違いだ。
本当に歩調をあわせるべきものが何なのかを考えるべきではないだろうか。
多くの人は、マイペースで動くことが出来ないことに不満を覚える。
学校や会社のスケジュールどおりに行動しなければ、落ちこぼれたり、成績が落ちてしまう恐れがある。
友人や同僚と行動を共にし、話をあわせないと「つまらないやつ」といわれる恐れがある。
つまり、「遅れないように」、「仲間はずれにされないように」と世間に歩調をあわせているのが実情だ。
100%をあわせ続けるわけではないが、とても窮屈で疲れる。
しかし、恐れを打ち消すために歩調をあわせる。
こう考えてみると、世間に歩調をあわせるための代償として「マイペース」を切り売りしているようになるが、果たしてそうだろうか?
究極の「マイペース」は、世間から隔絶された奇人・変人ということになるのだろうか?
けっしてそうではないと思う。
「マイペース」には、「積極的なマイペース」と「消極的なマイペース」があると思う。
「積極的なマイペース」とは、自分の目的・目標に対して、時には坦々と、時には無我夢中に周りの環境にあわせて安息を得ながら進んでいくことと仮定する。
一方の「消極的なマイペース」は、自分の感情や周りの環境に翻弄されて、自堕落に安逸をむさぼり停滞することと仮定する。
同じ「マイペース」という言葉で表現されても、安息と安逸では大違いだ。
本当に歩調をあわせるべきものが何なのかを考えるべきではないだろうか。
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